私が劇場のサイトラインについて数値化の研究を始めたのは石本建築事務所在籍時の1993年頃でした。その3年後1996年に野球場設計のため米国7都市でボールパークを視察する機会があり、レーガン政権下における先進的なバリアフリーの思想に触れました。そのような経験が契機で劇場・スタジアムにおける多様性に対応した設計を深く研究するようになりました。今世紀に入ってからは、体格差(特に男女の眼高差)を前提とした観客席の見え方について20年以上継続的に研究し、設計方法の試行錯誤を続けてきました。
人の体格はばらつきが非常に大きく、【体格差にかかわらず誰でもよく見える観覧施設】を実現するのは大変困難な道程でありましたが、ここ数年の成果において、ジェンダーを考慮しないステレオタイプな体格モデルによる古典的なサイトライン設計に比較しても、同じ設計与条件ならば各段によく見え、しかも収容人数を減らさずむしろ増やせる設計方法を構築できたと確信できるところまで来ました。前職(日建設計)におけるシアター・オーブ(2012年完成)は高いレベルでこれを実現できましたが、最新作のTHEATER MILANO-Za (2023年完成)ではさらに推し進めました。ちなみにMILANO-Za は開館して3か月目になりますが、ネット空間上の辛辣なブロガー達でも見え方に関しては文句はつけにくいようです。
ところで2005年に米国スタンフォード大学で提唱されたジェンダード・イノヴェーションズ(G.I.)が最近話題になりますが、私の発想と全く同じです。ということは結果的に私は観覧施設におけるGIにあたる研究開発をしていたようです。たまさかS大と同時期だったのは同時発生した猿の芋洗いのようなものに思われます。
日本社会はいまだに男性優位社会で、残念なことにGIのような発想を持った設計者や研究者に出会うことは数少ないですし、成人男性体型の単一モデルで作図やCG(コンピュータ・グラフィックス)によるシミュレーションを行えば事が済むと考えて疑わない設計者がほとんどです。また車椅子席の配置にしても、理解がいまだに欧米より四半世紀以上遅れている設計者が多く早く発想を転換してほしいと感じます。
たとえば科学的に検証すると、成人女性が観客席に座った時、男女比率が半々であれば、前の人のほうが頭の位置が3センチ高い確率は約50%あり、確率的に約7割の女性が舞台を見えるようにするには、古典的サイトライン設計法 よりも後ろの席を約7cm高くしなければなりません。(80%をカバーするには約8cm)つまり古典的なサイトライン設計法では、大半の女性が、サイレント・マジョリティでありながら、大半は舞台が見えていなかったのです。統計データと確率論により私がこの事実を知ったのは10年位前でしたが、当時は何度も結果を疑い、衝撃を受けました。しかし女性の演劇ファンから生の声を聞くとまさにその通りであることが分かったのです。
それ以来どうすれば、性差にあたる7cmのハードルを乗り越えられるかを試行錯誤してきました。体格差は非常に大きいので残念ながら100%をカバーすることは絶対に不可能です。しかし少なくとも7cmをクリアすれば、子どもを含む極めて小柄な人にクッションを貸すなどの館側の運用も併用することにより、ほとんどの背の低い観客を救済できることが実質的には可能になると考えています。このように性差、GIひいては年齢差も含む身体寸法の多様性に対応しているということは、劇場の運営者にとっても、イベントの主催者にとっても今後は強力な経営上のアドヴァンテジになると私は考えています。
ラムサがパナソニック社ほかと共同で開発した、ビューエスト(View-esT)の数値検証システムと、ラムサが独自で考案したウロコ式設計法を組み合わせることにより、主にジェンダー差(性差)による7cmのハードルは確実にクリアできます。この理論に基づく実作は、すでに複数館が実施設計段階にあり、数年後には次々と開館を迎える予定となっています。(ウロコ理論/ウロコ式設計法は近日中に公開する予定です)
※Genderd Innovations / ジェンダードイノベーション / ジェンダード・イノヴェーション / ジェンダード・イノヴェーションズ これらみな同じ